インドネシアで様々な文化活動をしながら、夢を追いかけています。
今から44年前の1975年に来イされた高城芳秋さん。68歳になられた今も、インドネシアと深く関わり合い、様々な文化活動を行いながら、夢を追い続けています。バイタリティ溢れる高城さんを、44年間にわたり魅了してきたインドネシアの魅力とは何か?今では考えられないような来イ当時の生活スタイルと合わせてお話していただきました。
68歳
鹿児島県鹿児島市出身
真珠養殖業経営。マジャパヒト・コミュニティー古代帆船航海プロジェクト事務局長。インドネシアクリス協会理事。1999年、ジャカルタ芸術大学映画学科入学。2001年、同大学退学。田中泯主演映画『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』(2007)インドネシアプロデュース。その他『現代インドネシアを知るための60章』第29章『もう一つの世界』著述、『永遠の森』『ジャワ聖地でのベネチアンガラス展』プロデュース等、多岐にわたる文化活動で活躍中。
大学卒業後、外務省の外郭団体である国際学友会で2年間勤務し、その後1975年に再び来イしました。今では死語ですがヒッピーのように1年間にわたってバイク、船、汽車を乗り継いでインドネシア各地を旅しました。その時もまだインドネシアに対して良い印象はなかったのですが『悪魔のささやき』 に惹かれ、それがきっかけで現在に至ります。
情報を仕入れようと知人に頼んで送ってもらった新聞の縮刷版に掲載されていた俵万智さんの『サラダ記念日』 の広告を見て、サラダを食べる夢を見たくらいです(笑)今となっては逆に農薬が怖くてサラダを避けるようになっていますけど。野菜、果物、魚、食材はすべて信頼できるところで買ってくださいね。
ユネスコの世界遺産に指定されているインドネシアの伝統的短剣クリスを始め、その他インドネシアの神秘的なもの、場所を私は尊重しています。ミステリアスな世界はこの国では政治にも大きな関わりを持っていますから。
子供も騙せないような大人はインドネシアには住めない
初めて会った人に日本人が「こんにちは。いいお天気ですね」と挨拶するのに対し、インドネシア人は「もう食事は済まされましたか?」と挨拶してくれます。「まだ食べていません」と答えると田舎では本当にご飯を食べさせてくれますからね。自分のことを度外視して他人を助ける心も、日本人にはないインドネシア人ならではの素晴らしさだと思います。
最後になりますが、映画制作の夢は?