(写真)昨年、故郷の石川県金沢駅の前で撮った三姉妹の娘たちとのショット。インドネシアで出産した娘たちは、エミレーツ航空のCA、日本の広告クリエイティブ会社、日本の芸術大生(現在フランス留学中)とそれぞれがグローバルに活躍している。
1986年に来イされ、現在は日本食レストラン『美卯ブロックM(以下同)』と『美卯石鍋スミットマス』を経営されている松田由美さん。いつも明るくポジティブ、面倒見がいい姉御肌。ジャカルタ在住日本人女性が少なかった頃からこの町で社会人として暮らし、まさにインドネシアで働く女子の先駆け的な存在です。そんな由美さんにジャカルタ生活を始めた頃の素敵な出来事や苦労話などをお伺いました。
石川県金沢市出身
アメリカの短大を卒業後、『パキスタン航空』に日本人客室乗務員として勤務。その後『ガルーダ・インドネシア航空』に移籍した後、1986年からジャカルタに移り住み、ハイアットホテルのマーケティングとして勤務。現在、日本食レストラン『美卯』のオーナーとして活躍中。
スミットマスの『miu ishinabe』。多くの日本人が日本人客でにぎわう。
当時、若くて独身の日本人女性はジャカルタにほとんどいなかったので、自分で言うのもなんですが、モテました(笑)つき合ってもいないのにいきなり婚約指輪を渡されてプロポーズされたり……(笑)
そこでGMに掛け合って、すべて個人の要望を実現したお部屋に仕上げました。その後、約束通りその某大手企業の社員さんがウチのホテルに宿泊することになり、見事、囲い込みに成功したんです。
当初、うちのホテルには日本人宿泊者は全体の2%でしたが、私の営業で最終的に25%までアップしました。もっとも当時は日系企業のパーティーが盛んに行われていた時代なので、パーティーの獲得も多かったです。日系企業が想像がつかないほど、とても元気だった時代だったことも。
①日本の両親から了承を得る
②国籍をインドネシアに変更する
③インドネシア語を習得する
④結婚後も仕事を続ける
⑤イスラム教に改宗する
そしてこれらの条件をすべてクリアして彼と結婚し『◯◯グループ』の一員になりました。
その後、その旅行会社からは手を引き、レストラン業に専念することにしました。子どもたちの面倒を見てもらうために日本から母と弟たちを呼び、一家でジャカルタに住みはじめました。
母も日本で飲食店を経営していたので手伝ってもらい、『バリカフェ』は日本人の中で「インドネシアに出張に行った際は必ず行きたい店」の定番となりました。昔はお店の選択肢も少なかったですからね。
由美さん、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!
miu Ishinabe
0813-8023-7700(松田)
021-522-0717
021-2751-0033
平日 11:30-14:00 / 17:00-24:00
土曜 11:30-15:00 / 17:00-22:00
祝日 17:00-22:00
日曜 定休
Jl.Jend.Sudirman Kav 61-62, Jakarta Selatana
スミットマスタワー1正面玄関