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【熱狂諸島】松永祥兵氏|インドネシアで活躍するプロサッカー選手

リーグが完全にストップ!逆境から得た答えは、インドネシアでの永住

「まずいところに来てしまった。」ジャカルタの空港に降り立った瞬間、そう思った。東南アジア独特の雑多な雰囲気に圧倒されたのだ。衛生面での不安もその思いを後押しした。すぐに帰りたい。インドネシアの第一印象はひどいものだった。

プルシブ・バンドンの練習に参加し、結果を残せたことで所属が決まった。その後のバンドンでの生活においても、インドネシアのひどい印象は変わらなかった。食中毒になり、体重が落ち、体調が悪い中、試合に出場し続けた。このまま本当にやっていけるのだろうか。言葉が通じないのも、不安を後押しした。しかし、慣れというのはすごいものだ。徐々に、体が適応していく。気質の良いインドネシア人の温かさに触れ、いつからかインドネシアを住みやすい街と思うようになっていた。

グレシック時代の試合前写真、前列右から2番目が筆者

インドネシアにおいて、サッカーは人気のスポーツだった。その中でも、プルシブ・バンドンは熱烈なファンが多いチームとして知られている。(当時は普通クラスのチームだと思っていたが、他のチームを渡り歩くことで、プルシブ・バンドンの人気の凄さを知ることとなる。)デビュー戦で初ゴールを決め、その後も3試合続けてゴールを決めるなど、幸先の良いスタートを切った。しかし、1年でペルシバ・バリクパパンに移籍。ここで大きな試練が待ち構えていた。

ファンの子供たちにサインをする筆者

インドネシアのトップリーグが2つに分裂したのだ。その影響で、各チームで給料未払い問題が起きた。在籍していたバリクパパンも例外でなく、5ヶ月間も未払いが続いた。まさに日本では考えられない事態。生活において不安が募る。選手としては毎年7~8点のゴールを決めるなど結果を残せていただけに複雑な気持ちでいた。

嬉しいこともあった。2012年にプルセグレス・グレシク・ユナイテッドに移籍し、2014年にインドネシア選抜(ISLオールスター)に選ばれたのだ。そして、イタリア・セリエAの名門ユベントスとの試合に出場し、負けたものの自分の存在感を示すことができた。

リーグは前述した給料未払い問題だけでなく、汚職問題などがさまざまな問題が絡み合い、2014年の開幕から4試合が終わった後、政府から活動停止措置を受け、完全にストップした。契約しているにもかかわらず、また給料がもらえない。サッカーの試合もないので、一旦、日本に帰国することにした。

練習後、バスが壊れチーム全員で押しているところ

しかし、帰ったものの、何をすべきか。考えあぐねている時、とある派遣会社の社長からインドネシアに進出したいと声をかけていただき、特例という形でその会社で働くことになった。初めての社会人経験だ。社長はとても優しく教えてくれた。しかし、朝から夜まで働く日本の一般的な労働スタイルに馴染むことができず、たった2~3ヶ月のことだったが、自分はもう日本では働けないとの考えに至った。この経験が、この先もインドネシアで生きていこうと腹をくくるきっかけになった。

パプア遠征時の1コマ

2017年3月26日、インドネシア・スーパーリーグ(ISL)がやっと再開した。インドネシアでサッカーをするきっかけとなった古巣、プルシブ・バンドンからオファーをいただき、所属することとなった。また、熱烈な多くのファンの前でプレイできる。いつか戻りたいと願っていた。それが叶ったのだ。リーグとともに、自分自身においても心機一転。すべてをかけるつもりで臨んだ。

この時、サッカーだけでなく、心の中に違った想いが芽生えていた。それは結婚して、子供を授かったからこそ生まれた想い。その話は次回に記そうと思う。

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