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ディーン・フジオカ|ライフネシア単独インタビュー

アヤムゴレンも美味しいですし、クルプックの歯ごたえも大好きです

アジアツアーで来イ中のディーン・フジオカ氏をライフネシア編集部が独占インタビュー。ミュージシャン、俳優、モデルと多彩な顔を持つディーン氏にインドネシアに関することや音楽活動、さらには将来に関することなどを訊いてみました。

プロフィール

ディーン・フジオカ
・別名|藤岡靛
・生年月日|1980年8月19日生(38歳)
・出身地|福島県須賀川市
・身長/180cm
・血液型/A型
両親、祖父母とも日本人。2012年に中国系インドネシア人と結婚し現在三児の父親。英語名の「ディーン」はアメリカ留学時代にホームステイ先の父から「ディーン」と呼ばれていたことに由来する。芸能活動を始めた香港で、英語名が必要とのことから現在の芸名となった。2011年に現在の事務所であるアミューズに所属して以来、GMT+7〜+9(日本やインドネシアを含むアジアの時間軸)のエリアを中心とした縦移動のライフ&ワークスタイルで活動中。
カメラ/高原慶祐
文/ライフネシア編集部

豊かな土壌と海洋!インドネシアは豊かな国ですね

編集部
まず最初にアジアツアーで様々な国に行かれたりもすると思うのですが、インドネシアの印象からお聞かせ下さい。
ディーンフジオカさん
まず何よりごはんが美味しい(笑)それからインドネシアってとても恵まれた土地だと思います。もちろん自然災害が起こることもありますが、豊かな土壌や海洋など自然環境が素晴らしい。餓死する心配がないとでも申しましょうか……(笑)。寒さで凍死することもなく、衣食住の問題が最初からクリアされている気がします。本当の豊かさとはこういうことだって最初にインドネシアを訪れた時に思いました。
編集部
食糧難とは無縁のなんとかなるさ的なゆるさがありますね。
ディーンフジオカさん
そうですね。海に行けば魚が釣れるし、ここにパパイヤなってるしみたいな……(笑)この豊かさがインドネシアの一番の印象ですね。赤道地帯というポジションの有利さを感じます。北半球を見ていると国々のパワーバランスが激しいじゃないですか。インドネシアはそこから一定の距離をおけて自分たちのペースを崩すことなくやってるところがいいですね。
編集部
本当にインドネシアは「豊かな」国ですね。
ディーンフジオカさん
そうですね、現代のワイヤレス社会になったことも大きいと思います。有線だった時代はインドネシアのような島国にとってはハンディキャップだったと思うのですが、今はワイヤレスの技術が発達していろんな情報を入手できますから。また航空便の発達でいろんな島々に簡単に行けるようにもなりました。そういう意味では、インドネシアはこれからの時代に則した土地柄だと思います。可能性という意味では羨ましい国ですよね。
編集部
インドネシア国内では、どちらに行かれたことがありますか?
ディーンフジオカさん
ジャカルタ、バンドン、スカブミ、ソロ、ジョクジャカルタ、スラバヤ、バリ、バンダアチェ、赤道が通るカリマンタン島のポンティアナックへも行ったことがあります。
編集部
いろいろ行かれてますね。その中で特に印象に残った町はどこですか?
ディーンフジオカさん
全部よかった。映画撮影で1ヶ月間滞在したアチェも居心地のいい町でしたし、スカブミも相当インパクトがありました。以前、ジョグジャのボロブドゥール遺跡の前でライブをやったこともあるのですが、とてもいい場所だったと記憶しています。
編集部
ではまだ訪れたことがなくて、今後行ってみたいという場所などありますか?
ディーンフジオカさん
フローレス諸島です。すごく美しいという話を聞いています。
編集部
インドネシアは風光明媚な場所も多いし、まだまだ未開の場所もたくさんあって、今後も楽しみな国ですよね。さきほど「ごはんが美味しい」という話が出たのですが、とりわけ好きなインドネシア料理とかってありますか?
ディーンフジオカさん
どうしよう? ありすぎて選べない(笑)日常食からレベルが高い。アヤムゴレンも美味しいですし、クルプックの歯ごたえも大好きです。ベベックにサンバルマタにしてもなんでこんなに美味しいんだって思います。魚もイカも美味しいですし……。ナシパダンも大好きですね。
編集部
サンバルソースのスパイシーさは平気ですか?
ディーンフジオカさん
はい、特にサンバルヒジャウは好きですね。
編集部
インドネシア以外の国にもよく行かれると思うのですが、この国のこれが旨いっていうオススメ料理はありますか?
ディーンフジオカさん
日本のモツ鍋じゃないですかね(笑)他の国だと肉の下処理があまいのかもしれませんが、日本のモツは本当に美味しい!
編集部
日本は肉の処理技術が高そうですもんね。
ディーンフジオカさん
ラム肉の処理に関してはインドネシアがダントツで優れていると思います。それにしても中華料理圏は基本的に美味しいですね。自分はグルテンアレルギーだから小麦粉ものは食べられないのですが、それを差し引いても中華圏は美味しいものが多いですね。自分は米線(ミーシェン)系や火鍋が大好きです。うれしいのは、世界中どこにいってもチャイナタウンか中華料理屋があって、安くて美味しいものが食べられるのはありがたいですよね。
編集部
そういう意味では、中華料理って偉大ですね。
ディーンフジオカさん
ウエスタンの国にいると困ったら中華街に行くか、ベトナム料理に行くかみたいになります。あと忘れていましたが、日本のうなぎもヤバいですね(笑)世界の中でも日本のうなぎは突出して美味いと思います。
編集部
自分でも料理を作られたりするのですか?
ディーンフジオカさん
たまーにですね(笑)
編集部
得意料理は?
ディーンフジオカさん
ステーキ。ただ肉を焼くだけですが……(笑)あとはインスタントですね。米線(ミーシェン)のインスタント麺を買いだめしているので、それにお湯を入れて、クコの実や肉のスライスといった好きな具材をトッピングします。
編集部
クコの実を入れるなんて本格的な気がします。
ディーンフジオカさん
ちょっとしたことですが、そういうのがあるとリッチさが増してくるので。あとはジンジャーとかも入れます。

仕事も生活も向上心を持って常にアップデートしたいですね

編集部
ミュージシャン、役者、モデルなど、様々な顔を持つディーンさんですが、それらの活動を通して何か意識されていることはありますか?
ディーンフジオカさん
無意識の中でもきっと意識していることがあるのかな。現在アジアの縦軸を中心にして仕事や生活をしています。そこだけで活動したいと思っているわけではありませんが、自分のルーツとして特に大切にしたいと思っています。節操なくいろんなことをやっているのですが、同じことを続けることは好きじゃないので、常にアップデートしていければいいなと思います。それは仕事に限ったことではなく、普段の生活も含めて向上心を持って日々努力していくことが大切だと思っています。
編集部
具体的にどういう思いを持って活動されているのでしょうか?
ディーンフジオカさん
まずは自分の近いところからと思います。家族だったり、普段一緒に過ごすこと多い人とか。そんな小さなコミュニティーから広がっていくものだと思うので。たまたま自分の場合は、特定の国といった枠組みではないところで活動してきました。よく使われるボーダーレスという言葉が、結果的に当てはまるのかと思ったりします。
編集部
現代のグローバルな時代に合った活動なのですね。
ディーンフジオカさん
はい、そうだと思います。ただ、自分がボーダーレスにいきたいと強く意識しているわけではありません。自分が大事にしていること、大切な人、異なる文化やアイデンティティーなどを自然に捉えようとすると、どうしても一つの言語とか一つの国や民族などでは収まらない。ひとつの国とか文化とかでは収まらないものがあります。そこはやはり自分自身に素直でいたいですし、大切なものは大切なものとして扱っていきたいです。そこでまずはアジアの国境を越えた中で何かを伝えていきたいと思います。
編集部
話題を変えて、語学に関することです。現在ディーンさんは英語、中国語(北京語・広東語)、インドネシア語、そして日本語とマルチリンガルでいらっしゃいますが、どういうふうに習得されたのでしょうか?
ディーンフジオカさん
いや、まだまだ習得できてないですね(笑)
編集部
もし語学をマスターするためのコツみたいなものがあれば教えてください。
ディーンフジオカさん
音楽を聴くことでしょうか。
編集部
歌詞を訳すってことですか?
ディーンフジオカさん
いえ、歌詞を覚えるってことです。
編集部
今後の活動予定を踏まえて、数年後の近い未来、そして数十年後の遠い未来の理想の姿や目標を教えてください。
ディーンフジオカさん
近い未来はワールドツアーです。遠い未来は……う〜む、まだわかりませんね。
編集部
ワールドツアーでアジア圏以外でどこに行きたいとかってありますか?
ディーンフジオカさん
たくさんありすぎて……。できれば五大陸行きたいですね。
編集部
現在音楽ツアーをされているわけですが、影響を受けたミュージシャンや尊敬するアーティストっていらっしゃいますか?
ディーンフジオカさん
たくさんいます。いすぎて答えられない。今でも毎日影響を受けてるようなもんです。
編集部
では年代を追って、中学、高校、大学とそれぞれの年代ごとによく聞いて影響を受けていたのは誰ですか?
ディーンフジオカさん
中学時代はポップスかな。家ではクラシックを聴いたりしたのですが、友だちとの間ではロックなどポピュラーミュージックでした。高校に入ってからはメタルです。『メタリカ』のカバーバンドとかやったりしました。あとは『ニルバーナ』とか……。歪んだギターの音が好きでした。高校卒業後、アメリカに行った10代後半からはブラックミュージックにどっぷりとハマりました。ヒップポップ、ジャズ、R&Bもレゲエも好きです。同時にクラブにもよく通うようになってブレイクビーツやドラムンベース、テクノなども聴きました。そのせいか、特にこのジャンルといったものがなくなってきた時代ですね。20代前半は毎日のように夜な夜なクラブ活動していました。今思えば、クラブをハシゴしながら、音楽を肌で感じる貴重な体験をしていたように思います。
編集部
いい音楽はジャンルを越える。いいものはいいということですか?
ディーンフジオカさん
そうです。生演奏もDJプレイもいいものはいいですし。中華圏で活動するようになってから、仕事の関係上アジア音楽を聴くことになったのですが、こっちの音楽もいい。今でもカラオケに行くと北京語の曲を歌っちゃいますし。
編集部
アジア音楽ってどういった特徴があるとお考えですか?
ディーンフジオカさん
メロディーがプラトニックな感じがします。最近はアメリカの音楽もどこかアジアチックな部分があったりしますし……。『アリアナ』とかもアジアっぽいメロディーの曲を作ってると思いました。
編集部
中学から音楽にハマってきたということですが、どんな学生さんだったのですか?
ディーンフジオカさん
いいコでした(笑)
編集部
すごい勉強を頑張ったとか?
ディーンフジオカさん
はい、勉強は好きでしたね。
編集部
話は変わりますが、一度共演されて、また共演したいと思う役者さんはいますか?
ディーンフジオカさん
寺尾聡さん。あとはサモ・ハン・キンポーさんですかね。
編集部
誰でも人生の転機となる時期があると思われるのですが、ディーンさんにとっての転機となった出来事を教えて下さい。
ディーンフジオカさん
最初の転機は、花粉症がひどくてアメリカに留学したことですね(笑)その次は9・11があってアメリカに長くいられなくなったこと。そして今の仕事するきっかけでもある香港でスカウトされたこと。これはでっかい転機でしたね。あとは台湾からドラマのオファーをもらった時もそうです。やはり新しい国に活動拠点を移すのは大きな変化になりますね。
編集部
新しい国に行くということは、環境がガラッと変わりますし。パワーもいりますよね。
ディーンフジオカさん
それは誰でもそうでしょうね。一回自分を壊して作り直すような感覚ですし……。自分も日本からアメリカ、そして香港、台湾、インドネシア、再び日本と渡り歩いてきて、今思えば、国が変わるその都度が大きな変化でしたね。
編集部
新天地に移った当初は、苦労されることもありますよね?
ディーンフジオカさん
そうですね。渋滞にハマった時のジャカルタライフは辛い(笑)しかもマチェット(渋滞)にハマった時のバンジール(洪水)はホント辛い。エンジンに水が入って車が動かなくなって。ストリートチルドレンたちに押してもらうっていう体験もしたのですが、ホント助かりました。
編集部
本日はありがとうございました。

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