【熱狂諸島】市原和雄氏 / ますや・パパイヤフレッシュギャラリーを創業

二度の倒産の危機

そんなとき、定期預金に税金をかけるというインドネシア政府の政策が始まった。インドネシアよりシンガポールの銀行に預けた方が、利回りが良いという話が広まり、銀行から預金の引き出しが止まらなくなった。
銀行の連鎖倒産が起こり、オーナーの銀行は3番目に倒産した。

債権者たちは、もちろん怒り心頭だ。オーナーは集まった債権者たちを前に「私は、逃げも隠れもしない。パスポートは、あなたたちに預ける。じっくり考えて、どうするかは明日の朝、発表するから帰ってくれ」と語り、パスポートを手渡した。

パスポートがなければ、国外へは逃げられない。債権者たちは、少し安心したはずだ。しかし、その夜、彼はクルーザーに乗って逃亡した。債権者たちに預けたパスポートは偽物だったのだ。国内に居たら殺される。行方をくらませるしか、オーナーが生き延びる方法はなかったのだろう。

創業当時の従業員たちと(前列左から2番目が筆者)

オーナーと私の関係は周知の事実。債権者たちは、私のところへもやってきた。華僑や政府関係者、元軍人、弁護士や警察官……資産家たちだ。軍隊あがりの人間に「オーナーはどこだ?」と、ピストルを向けられたこともあった。

しかし、いくら債権者たちに詰め寄られたところで、どうすることもできない。私自身、その倒産した銀行にお金を預けていたのだ。「悔しいよね、私も腹立たしいよ」と正直に話をすると、分かってもらえた。そんな期間が2週間ほど続いただろうか。

風の噂に、オーナーの消息を聞いた。それから10年後、刑務所に入り、現在は静かに暮らしているらしい。
 
そのオーナーが逃げたことにより、会社の運営を断念。新たな出資者を見つけ、新生MASUYAを創設した。前身のますや時代からともに働いてきたメンバー8人とともに、日本の有名食品会社との代理契約を増やし、売上を伸ばしていった。社員数も増加、会社は順調に成長していく。

今度こそは、大丈夫……。

そう思った瞬間、私はまた奈落の底へ突き落とされる。

1997年、アジア通貨危機が起こったのだ。インドネシアの通貨ルピアの価値は、一気に6分の1まで落下。結果、日本の仕入先への支払いは、6倍に膨れ上がった。さらに、取引先との信頼関係構築のために、支払いを、「出港の90日後、クレジット契約で支払う」という条件にしていた。日ごとに、為替差損が膨れ上がっていくが、どうすることもできなかった。内部留保は使い果たし、私の個人資産も溶けた。メインバンクからの引き出しができなくなり、スポンサーも苦しんでいた。

約1300社の取引先から集金をしようにも、およそ700社は支払を拒否した。売掛金の回収が出来ぬまま、倒産や夜逃げが相次いだ。私自身の報酬は極限まで絞り、日本人社員、インドネシア人スタッフの給料も縮小した。全員、苦しみながら戦い、誰一人逃げようとはしなかった。

しかし、私は倒産を覚悟していた。